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フィリッポ・ディ・ボルボーネ(Filippo di Borbone, 1720年3月15日 マドリード - 1765年7月18日 アレクサンドリア)はパルマ公(在位:1748年 - 1765年)。ブルボン=パルマ家の祖。スペイン王フェリペ5世と2番目の王妃エリザベッタ・ファルネーゼの三男(第4子)。カルロス3世の同母弟。スペイン名はフェリペ(Felipe de Borbón) パルマ公にはかつてフィリッポの兄カルロスが1731年から1735年まで就いていた〔カルロスはその後シチリアとナポリの王位に就き、1759年にはスペイン王位を継承する。〕が、オーストリア継承戦争の結果、1748年のアーヘンの和約でスペイン・ブルボン家はパルマ公国を再び獲得し、フィリッポがパルマ公となった。 ==家族== 従兄であるフランス王ルイ15世とマリー・レクザンスカの長女ルイーズ・エリザベート(ルイーザ・エリザベッタ)と1739年に結婚し、1男2女をもうけた。〔1745年にはフィリッポの妹マリア・テレサがルイーズ・エリザベートの兄ルイ・フェルディナン王太子に嫁ぎ、フランス王家との二重結婚だった。また長女マリア・イザベラ、長男フェルディナンドもハプスブルク=ロートリンゲン家との二重結婚になっている。〕 *マリア・イザベラ(1741年 - 1763年) オーストリア大公ヨーゼフ(後の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世)妃 *フェルディナンド(1751年 - 1802年) パルマ公、妃はヨーゼフ2世の妹マリア・アマーリア *マリア・ルイーザ(1751年 - 1819年〔兄フェルディナンドが1751年1月生まれであるのに対し、マリア・ルイーザは同年12月生まれである。〕) スペイン王カルロス4世妃 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィリッポ1世 (パルマ公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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